広桃分水池、天狗岩発電所、吉岡風力発電所
本日は先日の広桃・田口発電所の下流部にある広桃分水地
 それと、利根川を挟んだ反対側にある天狗岩発電所、吉岡風力発電所を取り上げてみます。
 まず分水池
 場所はこちら
 
 広桃・田口発電所を通過してきた広桃用水が北から下ってきます。
 
 三方向にそれぞれ分岐する用水
 それぞれ左より、桃木川制水門、広瀬用水路制水門、田口第二放水路制水門 となっています。
 
 余水吐と放水門
 逆光だー・・・
 
 今日は放水の期間なので、放水路側の門が全開、広瀬用水、桃木川の2方向が全閉です。
 
 はい、ここで広瀬用水(後に広瀬川)、桃木川と分岐していきます。
 なので、ここより上流部は広瀬桃木用水、広桃用水等々一緒にして記されてますが、ここより先は分けて記されます。
 全開の田口第二放水路制水門
 
 桃木川制水門は普段から殆ど全開になることはありません。
 そしてここも、優先的に広瀬用水路側に導水するように掘り下げられてます。
 
 桃木用水側は90度方向を変えて他の河川と後ほど合流します。
 
 全開中の第二放水口ゲートのプレート
 
 水門前より利根川側を望む
 
 広瀬用水の関根取水口ゲートのプレート
 
 広瀬用水はこの後県営の関根、小出、柳原の各発電所、東京電力前橋発電所を経由して一部は利根川に、一部は広瀬川として流れていきます。
 
 広瀬用水、広桃用水に沿って先述の県営発電所から田口発電所に至る広瀬川線の鉄塔が並んでいます。
 
 90度曲がっていった桃木川の先はというと、曲がった先で暗渠になるのですが
 暗渠になる上から水門側を見てみます。
 
 手前にあるモノリス、気になります。
 
 
 
 これ、すごく気になります。
 一瞬東武伊香保軌道線前橋線の河川橋かな?とも思ったのですが、路面電車として現国道17号とずっと併走してたはずなので、ここで単独で渡ってるわけがありません。
 おそらく昔の人道橋かなにかかなと思います。
 どちらにしろ片方は民家に、もう片方は資材置き場になってますし、この橋台・橋脚跡に繋がるような道路が前後に見えません。
 この橋台から暗渠側
 
 この暗渠の上には民家が建っていますが、すぐ裏でまた地上に出てきます。
 この写真の右より接続されてきます。
 左から注いでくるのは旧富士見村側から下ってきた法華沢川
 手前側から来るのは、田口発電所南側にあったヒューム管が繋がっていた水路です。
 
 反対側、この小川が、田口発電所南側にあったヒューム管に繋がっています。
 
 この合流地点を過ぎると、新しくできた国道17号前橋渋川バイパスをアンダーパスしていきます。
 写真は側道より
 
 このように側道でもキロポストプレートを橋に掲示するところ、良いですねw
 
 もう一本の広瀬用水路側のアンダーパス
 
 それぞれの橋の看板を見ても、ちゃんと桃木川、広瀬川となってるのがお解り頂けると思います。
 こちらは田口第二放水路を国大道路の橋より
 
 利根川へ注いでいます。
 
 奥の方に風車が見えます。
 県営吉岡風力発電所です。
 今度は対岸のそちらへ行ってみましょう。
 場所はこちら
 
 以前の記事にも書きました、阪東橋下を暗渠で渡ってきた用水路、天狗岩用水
 佐久発電所の放水や坂東大堰合口からの取水が広桃用水、大正電気用水と共に、地下で分岐して対岸に渡ってます。
 そして暗渠から地上に
 
 天狗岩用水として下流へ流れていきます。
 
 道の駅吉岡温泉裏手に、天狗岩発電所があります。
 
 用水を渡る為の階段があるのが地味に嬉しいですねw
 
 水路を挟んだ反対側は東屋などがある公園になっています。
 
 水路を渡る橋より北側
 
 余水吐と、スクリーン付き取水口と、右側には排水門でしょうか。
 
 排水門と思われるゲートの裏側
 
 こちらは逆サイフォンの水路に繋がっていきます。
 
 どうやら天狗岩用水とは分岐してどこかへ接続されてる模様
 吉岡川逆サイフォンとありますので、このまま吉岡川へ接続されてるのでしょうか。
 本日はそちらまでは辿っていません。
 天狗岩発電所の発電機周辺
 
 
 この4本の水管の中にタービンがあり、発電機を回転させています。
 天狗岩発電所の横には
 
 吉岡風力発電所
 
 発電機部分には県営らしく、群馬県章が書かれてます。
 
 発電所回りには、説明板が至る所に。
 文章で書くよりこれらの説明版見て頂いた方が分かり易いと思いますので、すごく有りがたいですw
 
 
 
 こちらも、構造や図面がきっちりと書かれてて分かりやすいですね。
 下流側には放水路と、用水路の分岐のゲート
 
 放水路側には余水吐も併設
 
 放水路
 
 こうして利根川に放水路が接続されてます。
 
 天狗岩用水の名前の由来ですが、江戸初期の時代、利根川西側の利水の為に水路を開削する際に巨石が邪魔をし工事が中断するような事態に陥ったとき、天狗と思しき山伏が現れてその巨石を取り除く術を伝授し、その通りやったところ巨石を除去出来たことから天狗岩用水と名付けられました。
